コンピューター業界の片隅にひっそり生息するマニュアル制作会社ならではのニッチでユニークなコトバ使いを解説する連載の第7回目。今回は「スタイルガイド」について解説します。マニュアル業界に限らず世間一般にいろいろなスタイルガイドが存在していますが、マニュアル業界での実情をお話しします。
表現は基準がないと揃わない
スタイルガイドとは、出版物や書籍などにおいて用字用語を統一するために定めた言葉遣いのルール、またはそのルールを記した手引書のことを指します。用字用語と言うとなんだか語句 (単語) レベルが対象と思われがちですが、文や文章の言い回しや表記までカバーすることもあります。
Web サイトのデザインや、プログラミングのコーディングについてもスタイルガイドがあるようです。こちらは用字用語の統一など言葉の表記ルールを決めたものではありませんが、「基準がないと揃わない」のを解消するのが狙いというのは共通です。この記事では文や文章の執筆に適用するスタイルガイドに絞ってお話しします。

言葉というのは表現にバリエーションがありますから、同じ内容であっても書く人によってその表現のありかたは千差万別です。ですから、一定の基準を決めて統一を図らないと文や文章はちっとも統一できません。複数の執筆者や編集者がその人たちなりに書くと書きっぷりがバラバラになりますから、一定のルールを設けてそれに従って書いてもらうためにスタイルガイドを用意します。ひとりの人間が「こういうときどう書けばいいんだっけな?」と悩むときの指針にもなります。
新聞社や出版社は自社でスタイルガイドを用意しており、書店で市販されているものもありますから書店に行けば手に入ります。英語圏では、The Chicago Manual of Style (アメリカ英語)、New Oxford Style Manual (イギリス英語) という定番のスタイルガイドがあります。これらの市販のスタイルガイドは汎用的な文・文章の執筆の手引きとして使うことができます。
あとは自然科学分野における学会の学術論文の執筆の手引きもそのスタイルガイドとみなせます。大学時代に目に触れた経験がある方もおられるかもしれません。文献の引用のしかたまで決められているあたりがいかにも学術論文の世界です。
マニュアル業界はちょっと独自?
さて、マニュアル業界。
マニュアル業界の黎明期は制作会社とメーカー企業が一丸となって業界立ち上げに尽力しており、その一環でメーカーが独自で自社のマニュアル向けにスタイルガイドを策定したものが現在のマニュアル業界のスタイルガイドの基本になっています。「スタイルガイド」は主としてライティングルールを指しますが、 実際にはもっと幅広く、DTP のルール集まで制定されていたりします (これはスタイルガイドと呼ぶよりもデータ標準化のためのルールに近いのでこの記事では割愛します)。
メーカー独自のスタイルガイドではなく世間に流通している汎用的なルールを取り入れることもあります。おそらく業界で事実上の汎用標準は天下のマイクロソフトのスタイルガイドです。本国アメリカでは昔は「Microsoft Manual of Style」として市販されていました (当然ですが英語の書籍)。今はオンライン化したらしく書籍としての市販はされていないようです。このマイクロソフトのスタイルガイドは、日本語ローカライズ版も作成されていましたが市販はされず、マイクロソフト社製品のローカライズを請け負う制作会社にのみ支給されていたという知る人ぞ知る存在。おそらくその日本語版スタイルガイドはどこかの制作会社の血と汗と涙の結晶と密かに言われていましたけど。
あとは、マニュアル業界全体でのスタイルの標準化を目指して作成した「日本語スタイルガイド」という書籍がテクニカルコミュニケーター協会(JTCA)から出版されています。また、マニュアル業界ではありませんが日本翻訳連盟(JTF)が作成したJTF日本語標準スタイルガイドというものもあり、どちらも表記の統一について業界全体の標準化を図るために制作されたルール集です。
コンピューター製品に搭載される OS は Windows が圧倒的に多く、どのメーカーでも共通の内容になりますから、画面上の UI 表記のルールは自然とマイクロソフトのスタイルガイドに右ならえとなります。スタイルガイドには画面の各要素 (UI) の名称まで書かれていましたのでそれはもう参考になりました。
そんなマニュアル業界ですが、一般的な「正しい言葉で書き表す」のを前提としつつ、その表記の統一方針はちょっとオリジナルな文化です。少し紹介します。
表記ルール
読みやすく、親しみやすく (というより、技術的な内容でも堅苦しくならないように)、誰もが読んで理解できるようにするのがセオリーです。表記ルールはそのセオリーに則って決められています。

おそらく当業界だけのお約束
細かい表記については他のスタイルガイドでも定義されていますが、「情報を正しい日本語で正確な意味で書く」という思想のもとで、おそらくマニュアル業界独自と思われるお約束ごともあるのでした。

マニュアル業界ならではの文章表現
マニュアルといえば製品の操作説明が必ず登場します。その操作説明文はおそらくマニュアル業界ならではのスタイルが定番として存在します。操作とそれに続く結果は書き分ける、というものです。

守っていれば最低限の品質が保てるもの
このようにスタイルガイドというのは「同じ意味でも異なる表現ができてしまうのを一定の表記に揃える」のを意図しているのですが、これはひとえに「同じ意味でも異なる言葉を無節操に用いるのは、表記の統一に注意を払わない雑な表現の現れであると読み手に思われるのを回避したいから」とも言えます。表記が揺れていると読み手の認知に影響を及ぼすのかやたら読みづらく感じますので、そうならないようにする取り組みでもあるわけです。また、とりわけクライアントが独自にスタイルガイドを制定している場合はそうですが、そのルールに準じていない内容になっていると品質問題になります。制作会社としては由々しき事態ですので何としても回避せねばなりません。
正しい言葉で書き表すのは当然として、スタイルガイドがあるおかげで不特定多数の執筆者や編集者がいてもその成果物が全体として同じ水準を保つことができます。もしスタイルガイドがないクライアントからマニュアル制作を依頼されたら、メーカーのスタイルガイドの知識と汎用的な標準に従って制作を進めています。
ただ、本音を申せば、スタイルガイドって結構ボリュームがあって、精読するのは何気に労力かかります。ああ言葉って難しい……。
