コンピューター業界の片隅にひっそり生息するマニュアル制作会社ならではの、ニッチでユニークなコトバ使いを解説する連載記事「マニュアル業界用語解説」。今回のお題は前回に引き続き「注釈」です。前回とは別のもうひとつの「注釈」について解説します。
電子文書が生み出した「注釈」の別形態
PDF 文書においては、その文書にビシバシ付け足しされたコメントが注釈と呼ばれます。

PDF ビューワーには、そのようなコメントを記入するための吹き出し式の描画パーツ (オブジェクト) があるのですが、そのオブジェクトに限らず、紙面上に自由に描画する文字オブジェクトも含め、コメント文を含む描画オブジェクト全般が PDF 文書における注釈です。その注釈が吹き出しであれ描画オブジェクトであれ、PDF ビューワーでは、注釈一覧表示欄 (コメントパネル) があり、その内容を一覧で確認できるようになっています。

マニュアル業界では、PDF の注釈機能は「PDF 文書の校正結果のコメントや修正内容、指摘事項を入れるためのもの」として利用されています。いわゆる電子校正です。本来の注釈が「本文と同じ執筆者が著述した情報」なのに対し、PDF での注釈は「本文の執筆者とは別の人間が、文書に対して自由に意見を述べるコメント」となっていますから、本質的に意味が様変わりしています。
書き手の数だけ指示のバリエーションがある
そんな PDF 文書の電子校正ですが、注釈機能を使ってどのように校正コメントを入れているかというと、これがもう千差万別です。極論すると「わかればいい」「伝わればいい」なものですから、コメントを入れる人が各自思い思いの方法で指示入れしています。それはもう、みなさん PDF ビューワーの注釈機能を駆使してさまざまな手法で指示入れしているわけです。
仕事がら注釈機能を使って校正指示を入れた PDF はたくさん見てきましたが、指示入れのしかたとしては「紙面の余白に指示入れ」と「ポップアップノートに指示入れ」というふたつに大別されるようです。
紙面の余白に指示入れ
校正紙の紙面の余白にコメントを書き込むのとまったく同じことを PDF 文書で再現するアプローチです。PDF ビューワーの注釈機能にある描画ツール (直線、曲線、折れ線、矩形、丸、テキスト) を総動員して、指示を余白にせっせと書き込むわけです。

校正紙に直接手書きで指示入れするのと同じで、すべての修正箇所とコメントが同一紙面上に収まっているのが最大のメリットでしょうか。あちこち見なくて済みますから。余白が足りなかったときは別紙扱いにするなどの工夫が必要ですが、これは校正紙でも事情は同じです。
余白に収まっていたとしても、指示があまりにも多くなると、紙面上が賑やかになって、指示内容を把握しづらくなります。これも校正紙に直接手書きで指示入れするのと同じで、校正紙への直接指示入れのよいところも悪いところも再現されてしまいます。
あと、このアプローチだと、ひとつの指示を表現するために複数の注釈を使う必要が生じます。PDF ビューワーのコメントパネルには注釈の件数が表示されますが、指示の 2 ~ 3 倍の数として表示されますから、修正量が多いときはその数に圧倒されることになります。それに、指示を書いているというより、お絵描きしている気分になります。
ポップアップノートに指示入れ
修正指示を余白には書き込まず、注釈のポップアップノートに入れるというアプローチです。PDF 文書上の修正箇所に吹き出しを追加し、その中のテキストボックスにコメントを記入します。または、PDF 文書上の修正箇所に直線や矩形を描画し、その描画オブジェクトのテキストボックスにコメントを記入します。

このアプローチは、ポップアップノートに指示を含めその前後事情を説明する任意のコメントまで記入できます。描画ツールでのお絵描きではない、本来の注釈機能で普通に付け足すことができるもので、このアプローチで PDF 文書に指示入れをするケースが多いと思います。
言い換えると、ポップアップノートを見ないと指示がわからないアプローチです。校正戻しの内容を確認するときは常にコメントパネルを開いて見ないといけません。見落としを防ごうとすればするほど、高解像度モニター (フル HD では不足、QHD 以上、4K ならモアベター) とかセカンドディスプレイが欲しくなります。今はワイドモニターが主流ですからよいのですが、ひと昔前のスクエアモニター (縦横比 4:3) が主流だった頃は今より作業はしづらかったかもしれません。
標準化という名の蜃気楼
ところで当マニュアル業界、何を隠そう一般財団法人テクニカルコミュニケーター協会という名の業界団体が存在します。そのテクニカルコミュニケーター協会が活動の一環としてPDFによる電子校正の標準化の取り組みをしており、その結果をガイドラインとして公表しています。出版編集業界では校正記号が標準化されており、おそらくそれと同等の役割を果たす標準化を図ったものと思われます。無料で入手できます。
PDF 電子校正ガイドライン第3版
https://jtca.org/tcwp/wp-content/uploads/2023/06/PDF_ProofingGuideline_3rd.pdf
このガイドラインの最後の改定が2012年3月ですから、ずいぶんと月日が経過しています。そして、このガイドラインが普及しているという話はトンと耳にしていませんし、コレを使えと指図されたこともありませんし、採用されているという事例はついぞ聞いたコトがありません。知られていないのかなあ……?
標準化の取り組み自体は実に意義のあることだと思いますので、みなさまいちど手に取ってご覧になると何らかの示唆が得られるかもしれません。ただし、10 年以上前のテクノロジーに則っていますから、今では事情が変わっている記載もあるようですのであしからず。
電子校正は「罠」まみれ
そもそも PDF 電子校正は、紙媒体での校正記号を用いた修正指示に比べてとにかく罠が多いという気がします。電子的媒体だからでしょうか、紙だといわば指示はすべて紙面上に収まっているのですが、それが PDF だと見えないところに重要な情報が潜んでいたりしますからたまったものではありません。

紙の校正紙を使って校正の受け渡しをしていた頃はその校正紙がすべてであって、あとはせいぜい「紙面上に書き込めなかった」指示や内容を伝達するための別紙が添えられるだけでした。それに比べて電子校正は、校正紙の置き換えとなっている PDF 文書だけではなく、それを開く PDF ビューワーの特性も充分に理解していないといけないようです。それも、校正を依頼する立場の人と、校正を担当する人とが同じ知識を持っていないと、指示伝達に齟齬が生じることが多いと思います。
校正提出今むかし
ともあれ、PDF 文書での校正のやり取りがすっかり定着し、提出もインターネット経由 (メール添付のほか、古くは FTP、今ではオンラインストレージなどを利用) で済むようになりました。校正紙に手書きで朱筆で校正指示を入れるなんてのはトンとお目にかからなくなりました。手書きの修正指示の解読に悩まされることもなくなりました。あ、でも、注釈による修正指示のコメントの意味や意図の解読は今でも頭を悩ませることはあるかな……。
今みたいに PDF 文書が普及していない紙媒体だった頃は、制作会社からクライアントに校正を提出するときは、必要部数を印刷してクライアントに渡していました。たとえば 12 部くらい印刷した校正紙をキャリーカートに載せて、担当営業が手持ちでクライアントに届けていたりしたわけです。当然、印刷にも時間がかかりますから、提出日当日は現場はさながら戦場みたく大わらわになったことも珍しくはありません。そんな校正提出のアナログな手間は、電子化された今では昔に比べてぐっと減りました。
かける時間も以前より少なくなっていますし、効率もよくなったはずなのですが、たいしてラクになっていないような気がするのは何故なのでしょうね……。


