見えないディレクション

もともとは雑誌や書籍の編集者として、文字と格闘する日々を長く過ごしてきました。

クレステック入社後は、マニュアルやマニュアル以外の制作物の企画、構成、デザイン指示やWeb進行まで、気が付けばさまざまなディレクション業務も担当するようになりました。

裁量が広がり、関われる領域も増えたのはありがたいことですが ――
ひとつ、どうしても抗えないハードルがあるのです。

それが、老眼です。

目次

Web会議で気づいた「見えない現実」

ある日、協力会社の制作チームとのWeb会議で、画面共有されたワイヤーフレームを見ながら話を進めていたときのこと。

「このアイコンをクリックすると表示データが絞り込みされて…」と説明されるのを聞きながら、内心こう思っていました。

…アイコン? ああ、これか。うーん、なんか文字書いてある?  …見えないんだけど。

そう、小さなUIや薄いグレーの注釈文字が、画面越しだとまったく読めないのです。
編集者としては“読む”のが仕事のはずなのに、読めない。

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PC画面に顔を近づけても、近視用のコンタクトを着けているため焦点が合わないうえ、画面共有の拡大・縮小は相手にしか権限がありません。

そんなこんなを繰り返すうちに、会議中のルーチンが確立してきました。
URLや資料が手元にあるときは別タブで開いて拡大、画面投影だけのときはササッとスクショを撮って拡大して確認。
気が付けば、そんな“謎の作業”を鮮やかにこなせるようになっていました。

目は口ほどにモノを言う

見えにくくなると、自然と配慮も変わります。

以前なら「少し文字小さいかもだけど、ここはスタイリッシュなイメージ重視で」とか、「淡い色合いがおしゃれですね」と流していたデザインも、今では「これ、読みにくくないかな…?」と気になるようになりました。

老眼という身体の変化を通して、“見やすさ”の基準が自分の中で大きく変わったのです。
アクセシビリティやユーザー視点のリアリティが、ぐっと身近になりました。
文字サイズやコントラストの弱さも、「ユーザーにとっての障壁」として今まで以上に意識するようになっています。

ユーザビリティやアクセシビリティという言葉が、実感をともなって自分ごとになった ―― そんな感覚です。

不便、だけどちょっと誇らしい

編集者、制作者として鍛えてきた目と、年齢とともに弱ってきた目。
その両方を使いながら、今日も原稿と画面に向き合っています。

「細かすぎて読めない」は、実はユーザーの声でもあります。
そう思えば、老眼はただの衰えではなく、“実感をともなう観察力”を手に入れたとも言えるでしょう。

というわけで本日も、見えてるポーズでこっそりスクショ&拡大。
不便だけど、それも込みで今の自分。

“見えないけれど、見えている”

そんなディレクションを、誇りをもって続けています。

最後に

いやいや!
こんな強がりも、もう限界。

老眼鏡を
買います!!!!

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この記事の執筆者

Ayumi Takadaのアバター

Ayumi TakadaCRESTEC

編集ライター

執筆者プロフィール

雑誌編集、広告制作、フリーライターの経験を活かし、各種コンテンツの企画編集、制作を担当。お客様の「言いたかったこと、それだ!」を引き出すのが喜び。
マニュアル制作では「お客様の熱量までお届けする」をモットーとした異端のテクニカルライターでもあります。

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