コンピューター業界の片隅にひっそり生息するマニュアル制作会社ならではのニッチでユニークなコトバ使いを解説する連載の第8回目。今回は「新規」「改版」「流用新規」という 3 つの言葉を解説します。
マニュアルのデータの成り立ちの違い
マニュアルたるもの、それが紙の書籍のカタチであれ、オンラインで見る電子マニュアルであれ、なんらかのデータとして作成されます。このデータの成り立ちの違いを示すために、マニュアル業界では新規、改版、流用新規という3つの言葉を用いています。

ゼロから作る「新規」
マニュアルの制作において「新規」という表現は、過去の制作物や既存の何か別のマニュアルなどベースになるものがいっさいない状態でゼロからマニュアルを作ることを意味します。
たいていの場合は何らかの過去のマニュアルをベースにすることが圧倒的に多く、本当にゼロベースからマニュアルを制作するのは稀です。ライティングの面でも DTP フォーマットの面でも過去の成果物を巧みに流用することが多く、またそのほうが速く仕上がります。それは言ってみればノウハウの流用であり、決して「他社事例のパクリ」ではありませぬ。ここはひとつ「インスパイア」と呼んでいただきたいと思います。こういう実情もあって、新規でのマニュアル制作はめったにお目にかかりません。
そんなレアケースである完全新規は「ド新規」と呼び示します。わざわざアタマに「ド」を付けて強調するわけです。この場合はフォーマットもコンテンツの構成もイチから作り上げるという、一種の企画力の勝負となります。
なお、同等の別機種のマニュアルをベースにして作成するマニュアルで、厳密には後述する流用新規に類するものであっても、管理上の事情などで新規として扱われることがあります。

過去の成果物を更新して作る「改版」
新規制作ではなく既存の成果物のデータを流用するときの形態のひとつが「改版」です。印刷および出版業界では印刷物の原版を新しく作り直すことを指します。これがマニュアル業界では、同じ製品のマニュアルの初版制作後に仕様変更や誤記などの事情で記載内容に変更があったときに、その変更箇所だけを修正して版を改めたマニュアルを制作することになります。
世に言う「改訂」に近い意味を持つのですが、この「改版」という言葉が用いられる文脈では「新版ではない」つまりゼロの状態から新規に作成するものではないという意味合いが強くなります。つまり新版に比べて労力もコストも時間も少ないということに比重を置いた言葉として用いられているわけです。
そうは言いましても、成熟製品だと過去マニュアルに対して、せいぜい型番とか仕様上の細かい数値を修正するとか、対応フォーマットを追加する程度で片付きます。これが複合機クラスの大物になると、修正が比較的軽微でもページ数が膨大なため、なんだかんだで工数に起因する請求額も高くなり、いわば「おいしい仕事」になったりするから侮れません。製品が一定のスパンで改版されると、こちらもその期間は一定の受注が見込めるのでありがたいお仕事とも言えます。もちろん、その改版の途中でクライアントから見放されない限り……。

過去の成果物を転用して作る「流用新規」
既存の成果物のデータを流用するときの形態のもうひとつが「流用新規」です。過去の成果物のデータをベースにしてマニュアルを制作するという点においては改版と同じですが、改版はその製品のマニュアルの内容の手直し的な変更に対して用いられるのに対し、流用新規はフォーマットのベースにするだけで中身は原則としてまったく異なるマニュアルを制作するという違いです。過去の成果物は流用するけど新規製品なので改版ではないという、純粋な意味で新規とも改版ともいえない扱いのマニュアルに対して用いる実に便利な言葉……か?
こんな流用新規ですが、ベースにする他の成果物のマニュアルのどの構成要素を流用するかによっていくつかバリエーションがあります。
たとえばある製品の後継機の場合は、設計レベルでの製品の変わり具合にもよりますが、旧製品のマニュアルの全部ではないにせよ、一部はそのまま流用できることがあります。この場合は、旧製品に対する加筆訂正によって新製品のマニュアルを作成することで労力を軽減できます。当然、マニュアルのフォーマット (体裁) も旧製品のマニュアルを踏襲します。いわば「コンテンツ流用新規」です。
他方、マニュアルのフォーマットだけを踏襲するというケースもあります。この場合はベースとするマニュアルをテンプレートとして使って、中身の説明文はまるっきり新規に作成するわけです。こちらはいわば「フォーマットだけ流用新規」です。同一カテゴリーの製品だったり、製品を開発する事業部もマニュアル担当部門も同じ場合は、フォーマットだけ流用新規で制作することでマニュアルに統一感を持たせることができます。もっと言えば、標準化の一環でベースとなるテンプレートデータを用意して各製品のマニュアル制作時に使用することもありますが、これも流用新規の一種です。

もともとは新規か改版かというシンプルな分類から始まっているのかな、と思います。ところがマニュアル業界が主として相手にする製造業の事情で、どうしても過去製品の後継の後継のそのまた後継……という連鎖があり、マニュアルも流用の流用のそのまた流用というのが多くなって、100% 新規ではなくて過去の成果を流用しているけど扱いとしては新規という存在が登場し、それを指し示すためになんとなく「流用新規」というハイブリッドな表現が生まれたのかもしれません (誰かにそう教えられたわけではない完全憶測)。あとは、「新規」というラベリングだけだと請求金額に影響し、「フォーマットとか過去マニュアルをそっくりパクッているのに新規なわけないだろう?」ということでやむなく「流用新規」という新規と改版の中間に位置する分類を設けたに違いないというおカネの事情というのもあるかもしれません (これも憶測100%)。
つまり製品自体は新規製品だけどマニュアルは過去の何かの流用なので「流用新規」という言葉が生まれたものと思われますが、この記事の執筆者としては書いているうちにアタマが混乱しており、下記のように整理してみました。

流用ばかりで新規は少ないという現実
マニュアルが題材とする製品は、「前身となる機種に機能を追加した後継機」とか「ベースとなる機種の機能限定または拡張版」とか「元の機種のちょっと機能変えた製品」というのが多く、そのせいかマニュアルも改版または流用新規がやたら多いのが実情です。マニュアルって製品の数だけ作らないといけませんし、その製品の数は膨大になりがちですから、流用性が高いデータをあつらえて大量のマニュアル制作をさばくというのが業界に身を置くメーカーの命題となっていると言っても過言ではありません。他方、制作会社としては、制作スタッフはその労力の少なさから予想されるいわゆる「楽勝」感に喜び、営業担当はたいした売上にならないと思って嘆くに違いありません。
正直なところド新規というのは、かかる工数に対して売上は高くなく、あまり利益が出ない仕事になりがちです。改版でその分の埋め合わせができると期待したり、または「ド新規もできますよ」という名誉アピールのために請け負うという側面もなくはありません。営業としてはその「新規以外のところで高い売上が見込める」と目論んで内心ホクホクする横で、制作スタッフはそのために必要とされる労力を想像してドンヨリするかもしれないことは公然のヒミツとしておきたいと思います。むしろ新規というやりがいにまみれた骨のある仕事に飢えていて、いつでもかかってこい!と鼻息荒げている……ということにしておきましょう。
